100年企業創りレポート

藤間秋男の100年企業創りレポート vol.307 2023.12月号

2023.11.29 Wed

赤文字:藤間のコメント

黒太文字:引用

1.茅ヶ崎は、サザンオールスターズとTOMAグループのふるさと 

 先日サザンオールスターズは、45周年ライブを茅ヶ崎で開催し、4日間7万人、映画館ライブ
ビューイングは20万人、2日間で27万人以上動員しました。
 私は、サザンが45年前勝手にシンドバッドでデビューした時、斬新さと歌詞に魅力を感じ、
ファンクラブに入って44年前に江の島でビーチボーイズの前座ライブにサザンが参加してから
20回以上参加し、TOMA社員も連れていきました。今回の現地ライブは、家内と私で申し込み
して、全てはずれ涙しましたが、2日間映画館のライブビューイングに参加して歌ってきました。
実は、そんな茅ヶ崎がTOMAグループのふるさとです。
 東京駅が大正時代にでき、TOMAグループの原点である私の曾祖父が丸の内にあった市役所、
警察、裁判所、刑務所の前で、字が書けない人の代書屋がスタートでした。
 曾祖父は茅ヶ崎の出身で、藤間家は茅ヶ崎の名家で名主でした。神奈川県を作った100人の
1人に入っている一族でした。長男ではなかったので、東京へ出てくすぶっていたらしいです。
その奥さん(私の曾祖母)が、丸の内の前を通ったら繁盛している代書屋を見つけて、名家の出
なので読み書きが出来た夫に勧めてスタートしたのです。藤間家が名家で学問があったから、
代書屋を始められたのです(明治23年、133年前)。
 その後子どもができなかったので、司法書士事務所に勤めていた私の祖父、藤間を養子に
迎えました。2代目は素晴らしい経営者で、東京中の大きいお客様を獲得し、タイプライターを
いれました。そこで祖父は「うちには司法書士しかいないのか。弁護士とか会計士はいないのか。」
と言い続けていたそうです。
 祖父はワンストップグループを作りたかった。4代目である父が、私にそんな話をし、私も司法
書士を継げば楽だったんですが、公認会計士を取って、43年前にたった1人でスタートして、今
200名のTOMAコンサルタンツグループができているのです。
 初代がいなければ資格の世界はなかった。2代目の祖父は、大きく仕事を伸ばし、ワンストップ
コンサルタンツグループを願うことがなければ、私は司法書士になっていたと思います。4代目の
父も、私に会計士をやれと言わなければ司法書士で終わっていたと思います。
 今のTOMAコンサルタンツグループは、曾祖父、祖父、父がいなければなかったのです。

2.倒産を招かない生き方は老後の人生設計にも役立つ 社会教育家 田中真澄

「早起き」とは、早起きして心の余裕を持って時間を有効活用し、昼間の仕事で能率を上げるための
生活上の第一の習慣とすべき行為です。
「笑顔」とは人間関係を円滑にする基本的な習慣として大切なものであり、人付き合いや社内外で仕事をする場合、明るい雰囲気の下で行うためにも欠かせないものです。
「素直」とは自分の欠点を認める心の素直さであり、自我を抑えて、常に自分を向上させる努力を図る姿勢を維持するためにも必要なものです。
「感謝」とは、自分の存在を支えてくれるすべての協力者に対して、謙虚に感謝する気持ちを持ち続けることです。
「いい出会い」とは、以上の四つの要件を満たしていけば、自分を支えてくれる人々との素晴らしい
出会いが待っていることを意味しています。
つまり、これらの五則は、倒産を防ぐ大切な心得と言えるのです。と同時に、これからの長い老後の人生を幸せに導く心得でもあると言えます。

常に心に余裕を抱き、日々前向きで明るい生き方を心掛けてきたことで、幸いに倒産の危険に遭遇
することなく四十四年の独立人生を維持できています。

「致知」 2023年10月号 致知出版社 より

 TOMAでの私は、ある方から「社員より早く出社する社長の会社は潰れない」と言われ、社長
時代は毎日6時半には出社していました。
 当日の決済、原稿、企画など全て朝やって、あとは社員の指導、面談、お客様との面談や異業種
交流会に参加する時間にあてました。
 TOMAの経営理念「明るく・楽しく・元気に前向き」に、早起きを加えて潰れない会社ができました。
いかがでしょうか? 今年で43年になります。

3.出会いは全ての始まり 日本経営合理化協会 理事長 牟田太陽

「あの人に出会えて人生が変わった」という人が何人いるだろうか。
 私には5人の師がいる。
 重要なのは「その方の考え方は、自分の中に生き続ける」ということだ。
 何か経営の判断で迷ったときに、「あの人だったらどう答えるか」と考え、「こうした方がいい
のでは」と幻聴が聞こえるくらい想うことだ。
 人の人生は出会いで始まる。
 そもそも出会いの「数」が無ければ、出会いの「質」は生まれない。そういった場所に自分の身
を置かなければいけない。故一倉定先生は、社長室に閉じこもる社長のことをアナグマ社長と
呼んだ。故後藤昌幸先生は、社長室の壁のことを情報遮断版と呼んだ。社長室の中には何もな
い。新しい出会いも、新商品のネタも、新事業のネタも、お客様も存在しない。自分から出てい
かなければいけない。
 自分が先頭切って外に行かなければ、幹部も、若手も、外を知ることはない。幹部にも、若手
にもどんどん出会いの場を与えてほしい。

「日本講演新聞」第2822号 2020年2月3日より一部抜粋

 私にも5人の師がいます。
①私の人生の方向性の師は父親で、ワンストップグループのため、司法書士ではなく公認会計士
を勧めてくれました。
②人生覚悟の師として日本創造教育研究所 田舞徳太郎氏で、TOMAの10年後のビジョンを15年
間ご指導していただき、ワンストップグループの色々な業種をアドバイスしていただきました。
③経営理念の師は、故木野親之先生で、松下幸之助の「経営理念の確立と浸透」が、企業経営50%
成功ということを学ばさせていただき、TOMAの200名体制の礎を築かせていただきました。
④人間学の師、藤尾秀昭氏(致知出版社の社長)。人間学の学びをたくさんご指導いただき
ました。永遠の学びの場をいただきました。
⑤倫理経営の師、高嶋民雄氏で、倫理法人会のたくさんのお役をいただき、倫理法人インスト
ラクターになりました。
 5人の師のおかげで、本当に幸せです。今からでも師を見つけませんか。