100年企業創りレポート

藤間秋男の100年企業創りレポート
vol.287 2022.4月号

2022.04.01 Fri

1.『社員を喜ばせる経営』を出版しました。(現代書林)

TOMAの始まりは130年前の明治23年。丸の内、当時東京駅はなく、役所・裁判所・警察・刑務所などがあったところで、私の曽祖父が字の書けない人のために代書屋(司法代書人)をスタートしました。祖父にあたる2代目で司法書士になり、ほとんどの大企業の商業登記を受託しました。

そして「藤間には司法書士しかいないのか。弁護士とか経理士(公認会計士)はいないのか」との言葉から、ワンストップグループづくりのため、司法書士4代目の長男である私が公認会計士を取得して40年前に社員0、お客様0で現在のTOMAコンサルタンツグループを創業。1年間はお客様0でした。

10年間は順調に拡大し社員40名まで増えましたが、10年過ぎから幹部が大量に辞めたり、業績不振で銀行に貸し剥がしにあって土下座をしたこともある10年となりました。

そこで学びを再開し、松下幸之助の弟子の木野親之先生から、経営理念の確立と浸透をしたら50%成功し、それから社員を信じて任せたら30%成功すると聞き、真剣に実践しました。これは「経営理念の確立と浸透をしたら社員がそのように動くから、社員を信じて任せても良いでしょう」という考えです。その時に作った人財育成理念は「社員・家族の幸せづくり優先がお客様の幸せづくりへの近道」でした。

経営理念には「社員・家族とお客様と共に成長・発展し 共に幸せになり 共に地球に貢献します」という一節がありますが「お客様と社員・家族」でなく「社員・家族とお客様」の順番です。常に社員の幸せをつくる経営を目指し、結果、現在200名の社員と1,000社のお客様にきていただいております。

新刊『社員を喜ばせる経営』の冒頭でも「会社にとって従業員は、実はお客様より大事です。従業員を大事にしない会社、経営者が独善でワンマン経営を続けている会社は、組織の力を発揮できません。時代の変化についていけません。やがて取り残されていく、そういう運命にあります。」と書きました。もっと社員に寄り添う経営をしませんか? あなたの会社の社員のことをとことん考え抜けば、必ず道は開けます。

 

2.叔母の訓え ~家業を継ぐということ~

「叔母の訓え」渡辺雅文   株式会社タニサケの社内報「フレッシュタニサケ」平成29年1月1日発行の付録より

① 「親苦労して、子供楽して、孫乞食する」という言葉があります。創業者が大変苦労して一代でいい会社を創り上げたとしても、後継者が楽をしたり遊んだりしていい加減な経営をしてしまうと、その会社は三代と続かないという例えです。

② 「企業三十年寿命説」と言われるように、(略)創業者が事業を興しても、三代と続かないのが実情です。しかし、そんな中でも百年、二百年と続く長寿企業が存在しているのも事実です。

③ 事業承継はそう簡単にできるものではありませんが、まずは後継者に後継者としての心構えを身につけさせることです。

④ 「家業を継ぐということは、自分を殺してお客さんやお店のみんなのために奉公することやでえ。あんたは一生楽な権利を受け継ぐことやと思っているのとちがうか」

        〈商いと子育てを問いかける教育ビデオ「てんびんの詩 原点編」主人公の叔母の言葉より〉

⑤ さらに、両親はもとより、先祖や周りの方々に常に感謝することです。誰しも、自分一人で大きくなったわけではありません。感謝する心を失ってしまうと人間は傲慢になってしまい、失敗の原因をつくってしまいます。

創業者が死にものぐるいで、何も分からない中で努力して、たくさんの失敗をして独自の経営観・商品開発・お客様・組織などを作っていきます。2代目、3代目はそれが前提で「ヒト・モノ・カネ」などができていて引き継ぐわけです。

それをさらにバージョンアップする気持ちでなければなりません。それに甘えて楽しよう、今のままでよい、と思ったら潰れてしまいます。永続企業がなくなってしまうのは、後継者がそう考えるからです。

 

3.自分の代では潰せない。次にバトンを渡していくという覚悟です

「崖っぷちでも覚悟を持って勇気を出せば羽を手にできる」

   株式会社銀座テーラーグループ 代表取締役会長 鰐渕美恵子氏(「理念と経営2022年1月号」コスモ教育出版)

自分の代では潰せない。次にバトンを渡していくという覚悟です。支えになったのはギリシャ神話のこんな逸話でした。覚悟を持って崖っぷちに立ちなさい。その時、神が肩をそっと押してくれる。すると天に向かって飛んでいける……。崖っぷちでも覚悟を持って勇気を出せば羽を手にできる。そう思って、必死に時代の方向性を捉えて、どうすれば自社や自社の製品がその波に乗れるかを真剣に考えてきました。すると取引先や社員の皆さん、家族が肩を押してくれたのです。だから続けてこられたと思っています。

「崖っぷちでも覚悟を持って勇気を出せば、羽を手にできる。」これですね。経営者は常に覚悟ですね。やることがすべて成功するわけではないけれど、覚悟を持って勇気を出せばいろいろな味方(社員・仕入先他)などは協力してくれます。私は何度も経験しました。

(2)で紹介した「親苦労して、子供楽して、孫乞食する」にならないよう、この言葉を活用してほしいと思います。

 

4.「絶対に管理職にしてはいけない社員」の5つの条件

「『絶対に管理職にしてはいけない社員』の5つの条件」経営コンサルタント 日沖健氏

                                 (WEBサイト「東洋経済ONLINE」2021/11/08)

このところ働き方改革やコロナ対応などで職場の運営が難しくなり、マネジャー(管理職)には高度なマネジメント能力が求められています。

条件1. 一貫性がない

口(発言)と腹(本心)と背(行動)が一貫していません。言うことがコロコロ変わるし、信念を持って本気で語っていないので、発言に力強さがなく、軽い。

条件2. 部下よりも自分の利益を優先する

自分の立場しか考えず、自己保身ばかりする。

条件3. 肩書で人を動かそうとする

権威主義的、高圧的。部下の手柄を横取りする。部下を信頼せず、部下の一挙手一投足を管理しようとする。

条件4. 向上心がない

向上心のない管理職の姿勢は、部下にも確実に伝播し、職場全体が無気力になってしまいます。

条件5. 経営的な視点・姿勢がない

経営環境の不確実性が増す中、職場の管理職と言えども、戦略構想力が不可欠になっています。

上からの指示をそのまま部下に伝えるだけで、自分の責任で職場を改革しようとしない。

管理職の人も、自分は任された範囲での社長だと考えて、その任された範囲の社員を幸せにし、お客様を幸せにすることが役割ではないでしょうか。そうすると、自分の人格も向上し業績も向上すると思います。

他人のせい、コロナのせいという考え方で活動していたらつまらなくないでしょうか。せっかくのチャンス、もったいないと思います。

 

5.“流通業界の風雲児”がユニクロ社長を断ったワケ

「“流通業界の風雲児”がユニクロ社長を断ったワケ」松岡かすみ氏(WEBサイト「AERA dot.」2019.9.5)

〈藤間の補足:澤田貴司氏は1997年ユニクロに入社し、2年目に副社長になりました。その澤田氏が社長就任を断ったというエピソードについて、林真理子氏との対談記事です〉

澤田:(柳井さんから)「次はおまえしかいないからな」って言われたんです。(略)だけど、僕はしっくりこなくて。(略)柳井さんの下で社長をやることにどういう意味があるのかなと思ったんです。社長っていろんなことを決めなきゃいけないでしょう。決められない社長って係長と一緒じゃないですか。

林:会長として柳井さんが指揮されてるわけですもんね。

会長が仕切って社長が決められない会社はありませんか。「決められない社長って係長と一緒じゃないですか」。TOMAは4年前に市原代表取締役社長に譲りました。

私も代表取締役会長でありますが、すべてお任せしています。月に何回か2人だけで議論します。結構対立することもありますが、「最後は社長が決めて下さい」で終わっています。だから失敗しても市原社長は自分のせいだと思い、成長します。もし、会長の私が決めていたら市原社長は自分のせいだと思わず、成長しませんよね。後継者を育てるには、信じて任せることなのです。

もし判断が会長の方が正しくても、自分はあと20年経営はできません。社長は20年経営できるわけです。社長に経営を託しませんか?

それが永続経営の秘訣だと思います。

6.48歳、無一文でインスタントラーメン開発に乗り出す(日清食品の創業者 安藤百福氏)

「ピンチは潜在能力を発揮するチャンス(安藤百福)」中井俊己氏 (ブログ「今日も良いことがあるように」より

① それまでは様々な会社の社長や信用組合の理事長を務めていたのですが、その信用組合が破産。その負債を負い、無一文となりました。ただ自宅が残っただけです。

② 48歳の安藤さんは、インスタントラーメンの開発にこれからの人生を賭けることにしたのです。

③ お湯をかければ食べられるラーメンなんて、これまで誰も考えつかなかったことです。モデルもないし、作り方なんて、誰も知りません。ですから、考えて、考えて、実験を重ねて重ねて、研究し続けました。

失敗を繰り返し、挫折を味わい、1日睡眠が3~4時間の日が続きました。

④ そして、1年を経て、安藤さんはついに発明します。世界初のインスタントラーメンの誕生でした。

1958年に商品化されると(略)瞬く間に人気商品となりました。

⑤ 安藤さんは後に語っています。「事業と財産を失い、裸一貫、絶対の窮地から出発したからこそ、並でない潜在能力を発揮できたのではないか。逆説的に言えば、私に事業失敗がなければ、(チキンラーメンの開発に没頭するという)これほど充実した時間はもてなかっただろうし、即席めんを生み出すエネルギーも生まれなかっただろう」

⑥ 誰でも潜在能力をもっています。その能力を発揮できるかどうかは、いろいろな要素があると思います。

  ・明確な目的をもっているか?

  ・その目標に向かって今日、行動しているか?

  ・その行動を日々、続けることができるか?

  ・失敗を繰り返しても、あきらめないで、常に目標に向かっているか?

  このような意識で行動している人は、いずれ目標を達成するでしょう。

安藤さんは48歳から再スタートし、私も65歳から再スタートしています。

まだまだ成果は上がっていません。明確な目標があって、目標に向かって毎日死ぬほど努力しています。

いつかその花が咲くことを夢見ています。諦めなければ必ず成功すると信じて!